「外国人風ヘア」とは。
「外国人風ヘア」なるものが巷で流行りはじめて久しい…らしい。
あえて「らしい」といっているのは、それが単に雑誌とかSNSとか新商品情報とか、その他諸々の媒体で見聞きする情報だからだ。
最近では主に黒髪を丁寧にブリーチするなどしてから、寒色をはじめとした柔らかく見える透明感高めのヘアカラーをしたあと、ヘアアイロンでうねったような動きを作ることでそういうスタイルに近づけることが多い。
別に実際、そういう髪の人が大勢街を歩いているのを見たわけでも、店にそういうことをしたいゲストがたくさん来るわけでもない(以前よりは多くなったような気がするけども)
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ただ、「外国人風ヘア」というフレーズに触れるとき、わりといつも思うことがある。
「…外国人って何人だよ」と。
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こと髪において「外国人風」と表現されるときに我々日本人がいつもイメージするのは欧米人、とりわけ肌や髪の色素が薄く、時に青い目をした白人のことであり、100歩譲ってそれがラテン系に振り分けられることがごく稀にあったとしても、その言葉がアジア系民族やアフリカ人に当てはまることはまずない。
もっと細かいことを言えば、このご時世、いわゆる白人や黒人のような姿をした日本人だってたくさんいる中で
「日本人らしくない姿形=外国人風≒白人」という表現方法はなんだかナチュラルに古い偏見みたいなものが漂っている気がして、どうも気になるのだ。
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別段、そういう髪をしている方々や、そういう髪を作るのが上手な美容師さんを揶揄するつもりは毛頭ない。むしろ自分にはないそうした抜群のセンスや技術に大変な敬意を表したい。
それに、確かにこれまでの歴史において白人の方たちはファッションやメイクなどあらゆる分野において時代をリードしてきたし、世界の多くの人たちはその真似をしてきたのだから、ヘアに限った話だけでなく、彼らに憧れる気持ちがあることはとても理解できる。
(例えば現に自分の着ている服についてわざわざ「外国人風ファッション」という人はいないほど「洋風の服=洋服」は文化として定着している)
それに、そういう髪は個人的にもとても好きだし、いわゆる日本人らしい髪には表現しにくい独特の雰囲気が漂うのも事実で、やりたい方はどんどんやればいいと思っている。
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しかしながら、「外国人風」というものがいわゆる色素薄めな(しかも若い)白人のもので、それが美しさの象徴とか代表みたいなものであり、もっと言えば、そうしなければ美しくなれない、今どきでないという認識が時に見え隠れするニュアンスとして伝わることにとてつもない違和感を覚えるのだ。
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「美」の振れる方向には様々なものがあっていいはずだし、少なくとも僕たち美容師がそういう引き出しをたくさん持つ認識を忘れないでおきたいものだと思う今日この頃である。